ほんねblog

創価学会員の父親なんていらない

父は創価学会員 (回想) その三

さて、祖父が用意した新築の家で父との生活が始まりました。

真新しい家には家財道具らしいものは一切無く、床の間に小さな仏壇と父の布団があるだけでした。

父は仕事もしておらず、貯蓄も一切無かったようです。

来て早々に、母は立派な仏壇とお客用の座布団と大きな座卓を買わされました。

地区のブロック長になり、座談会を開く為に何も無い部屋では格好がつかないからでした。

夜になると、どやどやと地域の学会員がやってきては、大きな声を張り上げ皆で勤行をあげるのです。

家中どころか外にまで響き渡る勤行は、私と母の肩身を狭くするものでした。

母は堅実で現実的な考えの人でしたから、創価学会に一切関わろうとはしませんでした。

そして、父の学会活動を否定する事もしませんでした。

「お父さんは学会活動をしなかったら本当にダメになってしまうから」といつも独り言のように言っていました。

 

時々、父に電話がかかって来ていましたが、それは借金の催促の電話でした。

「お父さんはいますか?」と言われ隣にいる父に取り次ごうとすると、「いないと言ってくれと」声を潜めて私に言うのです。

「父はいません」と返答すると「うそでしょ、本当はいるんだろ」なんて厳しい口調で問われました。

父は30万円するビジネス教材やら、15万円するビデオ教材やらをローンで購入しては、支払いが出来ず、クレジット会社から度々催促が来ていたのでした。

結局、母が持参した貯金から支払いをしていました。

そして、新しい仕事が見つかっても朝起きれずに結局すぐに辞めてしまうのでした。

生活は母がパートをしたり貯金を切り崩したりして、なんとかしのいでいたようです。

家のローンも家賃も無く自家用車も無かったので、なんとかやっていけたのでしょう。

 

毎日当たり前のように朝夕の勤行のお供をさせられました。

長く離れて暮らしていた父への遠慮もあって、私は黙って従っていました。

勤行は宇宙のリズム!生命の根源!本当にスゴいんだよ!なんて言ってましたが、私にとっては何の事やらさっぱりで理解も興味も持てない話でした。

伝えようとしているのでは無く、ただただ自分の価値観を押し付けている印象です。

そして出かける時には、必ず題目三唱。

一年程続けましたが苦痛でたまらなかった為、中学生になってからはきっぱり止めました。

「にーじーせーそん じゅーさんまい あんじょーにーきー ごーしゃりほつ・・・」

意味は判りませんし知りたいとも思いませんが、今でも暗唱出来ます。

そして、父と離れて暮らし始めてもしばらくは耳鳴りか空耳のように父の勤行の声がどこからか聞こえていました。