ほんねblog

創価学会員の父親なんていらない

父は創価学会員 (回想) その二

さて、結婚後に父は母を当然のように創価学会に入信させます。

なにやら、集会所のような所に連れて行かれ名前を書かされ3000円を支払ったそうだ。

きちんとした説明も無く、いいからいいからって感じでいつの間にか入信させられていたと言っていました。

結婚後、相変わらず仕事は続かず一日中布団から出られない日が続いたかと思えば、友人と会社を興すと言い出し家の貯金を持ち出したり。

その頃私が産まれたが、学会活動だけは熱心に続けるが仕事は続かず、生活が立ち行かなくなり、母は父との離婚を決意する。

その後、母は故郷に帰り私を育てます。

3才から11才まで私は母と2人で田舎で暮らしました。

祖母やいとこ達の近くに住み、田舎でのんびりと平穏な子ども時代。

11才になった頃、突然母が父と再婚する事にしたと私に告げました。

父の記憶はおぼろげで、何の印象も残ってはいなかったけど子供心に嬉しかったのを

覚えています。

その時は私の将来の為に、父と一緒に暮らすんだよと説明されたと思う。

その少し前に、神戸で喫茶店を営む姉から一緒に暮らそうと言われて悩む母がいました。

私はいつも沢山のお土産を持って訪ねて来てくれる叔母が大好きだった。

センスが良くて面白い話をたくさん聞かせてくれる、都会の洗練された雰囲気の

叔母に憧れていました。

しかし、母は片親の子ども(特に女子は)は就職や結婚が不利であると、なんとも古臭い思考の持ち主だったのです。

父方の祖父が息子の行く末を心配して、家を用意するからまたやり直せないかと打診してきたらしく、母も一人で私を育てる事に不安があったようでした。

もしかしたら、父への未練もあったのかもしれない。

私がこの時もっと大人であれば、この再婚をなんとしても阻止したのに。